生誕25周年

 

今日で25歳になりました。
4半世紀生きてこれました。
これもひとえに、こんな僕を愛してくれた人、嫌ってくれた人、一年一月一日一時間一分一秒でも接してくれた人たちのおかげです。
さて、誕生日を迎えてやっと新年を迎えた気になっているので、24歳を振り返って見ようと思います。
 
まず自己満足な企画を打ち、沢山の方々に祝福してもらった誕生日。トリのSentimental boysが終わった後に急にステージに上がり、「今日みたいな日がバンドの極み!」と絶叫し、顔にケーキをぶちまけられ、終いの果てには酔いつぶれ、楽屋で朝を迎え幕を開いた24歳。
朝7時からパン屋で働き、夕方からは吉祥寺WARPで働く日々。その一方で新世界リチウムのスタッフをやっていたり、もう最高に目まぐるしく時を過ごしていました。
 
そして転機が訪れたのは年の折り返しである6月。
祖父が救急車で運ばれ入院生活に入り、家族で話し合った結果、孫である僕が仕事を辞め、祖母と一緒に暮らすために、生まれてから高校1年生まで住んでいた葛西にカムバックを果たすことになりました。
そこからは介護の辛さに悩まされ、家族崩壊の危機を何度も迎えるわけです。
家族との話し合いや喧嘩を何とか乗り越え、あぁこのまま2014年も終わるんだなあと思っていた矢先に、病院暮らしが続いていた祖父が宇宙人になりました。
それが12月の頭。
宇宙への出発式などでバタバタしていたらあっという間に2015年になり、無事に本日、坂井駿生誕25周年を迎えたわけです。
今思えば、24歳の僕は沢山の新発見と再発見に出会えました。
生半可に時を過ごしていた自らの愚かさ。
身近にいる人を失くす苦しみと辛さ。
家族と親族の結びつき。
人を愛する喜び。
ピンチはチャンスという思考転換の大切さ。
その他諸々。
そして、そして、その経験値たちが
 
 
25歳を突っ走って行く糧になるわけですよ!!
 
前回にも軽ーく書きましたが、
今年の4月から私は25歳独身O型専門学生になります。
ヴェルディのスポンサーでもある東京スポーツレクリエーション専門学校のスポーツマネージメント専科で1年間インターンを中心にスポーツビジネスを学ぶ予定です。
その授業の一環で産学協同プロジェクトに参加いたします。
プロジェクト先は5つくらいあるんですけど、その中には東京ヴェルディもありまして。
それはもう如何なる手を使ってでも東京ヴェルディのプロジェクトに参加したいと。
来年は違う視点からヴェルディを支えて行くことになると思いますが、ヴェルディのサポーターのみんなと想いは一緒ですし、もちろんサポーター活動もやって行こうと思っています。
 
少し脱線しましたが(実は平常運転)、25歳。
なりたい自分になれるように、自分らしく、細かな事から完結して行って、人と人を結びつけていけるような自分を形成して行きたいと思います。
まあ、星野源大泉洋チャップリンを足したような人間になりたいって事です。
そんな坂井駿を今年も宜しくお願い致します。
 
2015.1.9